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プレイバック・シアターとは
 プレイバック・シアターをひとことで表現すると「わかちあいの場」といえます。 その場にいる一人が語り手となり、自分のストーリー(自分自身の出来事)を語ります。 心に強く残っている場面や長い間とらわれている出来事、なにげない日常生活の中のひとこまなど、ストーリーとして語られることは様々です。 語られたストーリーは役者(アクター)によって、即興の劇で表現されます。表現されたストーリーはその場の皆に分かち合われ、そしてまた語った本人に戻されます。 実際には、この即興劇に至るまでのグループの一体感をつくるエクササイズや、役者(アクター)として自発的に表現する為のウォーミングアップ、即興劇の後のクロージングを含めた全体をプレイバック・シアターと呼んでいます。 .
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活用されている領域
他の手法と比べると、多種多様な領域で活用されているのがPTの特徴のひとつでしょう。現在私がプレイバック・シアターを行っている領域を大きく分けると次の分野に分類できます。
  • 1 治療
  •   セラピー
  • 2 福祉
  • 3 学校教育
  • 4 産業界
  • 5 居場所・集い
  • 6 芸術分野
  • 7 冠婚葬祭
  •   記念行事
  • 8 社会活動
精神科クリニック・病院での集団精神療法、グループカウンセリング
一般の人を対象にしたグループセラピー、ワークショップ
老人保健施設での回想療法、精神障害者地域作業所での グループワーク
日大芸術学部演劇学科、山梨看護大学での授業、小学校、 高校、専門学校、アメリカンスクール、PTAの会合
企業研修、職場のチームビルディング・相互理解
自助グループ、居場所、ほっとできる場、レクリエーション
舞台芸術、即興パフォーマンス、エンターテイメントとして
結婚式の行事、一周忌の法事の場、様々なお祝いの行事
退職記念の送別会
様々な人種、国籍、宗教、思想、考え方を持った人々の相 互理解を深める場。
アフリカのアンゴラやインドを始めと して世界各国でこの分野での活用が増えてきている。
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語り手、役者、観客
実施するねらい、実施する場所の環境、どのような人々が参加するかによって進め方にはいろいろなバリエーションがありますが、プレイバック・シアターの根本にある、語り手が自らストーリーを語り、劇を通してその場にいる全員でそれを分ち合うという「わかちあいの場」であることは、どのような場所で行っても変わりはありません。

プレイバック・シアターに参加する場合、語り手、役者(アクター)、観客どの立場でも参加することができます。そしてそれぞれの立場で、様々なことを感じ、自分が求めていることを得ることができます。


(語り手として)
語り手はストーリーを自分の言葉で語り、そして自分の人生の一片を客観的に見ることができます。
そして同時に観客も含めてその場にいる全員がそのストーリーを大切にしてくれていることを感じます。
それは自分自身が全員から大切に扱ってもらっていると実感することに他なりません。
このことを通して、自己受容や自己肯定、自信、枠組みの再構築、感情の昇華などといった様々なものを、語り手は得ることができるのです。

 プレイバック・シアターは語り手を最も大切にします。
コンダクター、アクター、ミュージシャンは、語り手が見たいかたちでストーリーを表現することにベストをつくします。即興で精一杯の表現をします。
観客は表現されたストーリーと語り手を敬意を持って見守ります。
その場にいるすべての人のやさしさ、あたたかさ、勇気があるからこそ、語り手は自分が大切にされていると感じ、得たいものを得ることができるのでしょう。


(役者として)
一方、語り手のストーリーを表現する役者(アクター)を行うことによって、私たちはどのようなものを得ることができるのでしょうか。語り手の言葉に耳を傾け、自発性と創造性をもって感じたままに舞台上で表現することを通して、自らの内に本来持っていた自発性、創造性を発見し、表現する喜びを感じます。

また、役者(アクター)は演じる(表現する)ことによって、まるで自分のことのようにそのストーリーを体験します。そして役の中でいろいろな感情を味わうことはすなわち、様々な自分に出会うことにもなります。
そしてもうひとつ、セラピーグループとしてプレイバックを続けていくなかで発見した大切なことがあります。それは、役者(アクター)は語り手の為に精一杯の表現をすることによって、「語り手の役に立つことができる」ということです。

つまり、即興の場で精一杯、語り手の為に存在することができるのです。この「他者に役立つ」「他者の為に精一杯つくす」自分を実感することはとても重要で意味があることです。特に自分の内に悩みや問題を長い間抱えてきた人は、自分自身の問題にばかり目が向いてしまい、自己を肯定する気持ちをなかなか持つことができません。
また、人からケアされる立場になることが多い人は、自分は「ケアをされる人」、他者は「ケアしてくれる人」という固定した見方で自分や他者を捉えてしまいがちです。

このような人たちにとって「自分が他者の役に立つ」という経験をすることはとても大切なことです。なぜなら、「他者の役に立つ存在」と自分を実感することによって、社会の中での自分の存在意義を再確認することができるからです。

役者(アクター)が表現の上手下手にとらわれず、語り手の為に一生懸命表現したとき、実は役者本人がその場からたくさんのものをもらっていることを、役者をやりながらいつも実感します。


(観客として)
プレイバックにおいて観客が果している役割も重要です。
観客の役割とは、ストーリーをしっかり見守ることです。不思議なことに観客にしっかりと見守られることによって、語り手は自分のストーリーが受容され、自分自身が受け容れられていることを感じるのです。

一方で、観客はひとつひとつの劇の中に自分自身を重ね合せて見ることができます。
直接自分の問題に直面することに抵抗感を持つ人が、観客として他の人のストーリーを見ることによって、象徴的に自分の問題と向き合うことができた、ということも多くあるようです。
そして、目の前で表現されたストーリーと自分自身とのつながりを感じることによって、「他の人も同じなんだ。私ひとりじゃないんだ」という実感を得ることができるのです。
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最後に
私はプレイバックの冒頭で、「楽しく、ほっとできて、ひとりひとりにとって何か意味あることを感じ取れる場を、これからみんなでつくりましょう」とよく言います。

私がプレイバックに魅力を感じるのは、何といっても楽しく、ほっとできるからでしょう。
そのような場を、全員でつくりだすことにとても魅力を感じます。
そして、私がプレイバック・シアターを通して最も大切にしたい点は、お互いがお互いを支え合うということです。
ここでは誰かが誰かを一方的に援助したり、一方的に支えるのではなく、ひとりひとりが「支える存在」でもあり、「支えられる存在」でもあるのです。
このことはとても素晴らしいことです。プレイバックの中で語り手は語り手として、役者は役者として、そして観客は観客として、自分が選んだ役割のなかで自分らしくいることで、お互いが支え合う場が生み出されます。

このお互いに支え合う場というものは、私たちの社会にとって現在、最も貴重なもののひとつといえるでしょう。日々新聞を賑わせている低年齢層の犯罪や家族や学校の中で起こる様々な悲しい事件を見ていると、我々は孤独や喪失、疎外、虚無といったものが蔓延している世の中で生きていることを感じます。このような社会の中で我々に最も必要なものが「お互いに支え合う」「自分と他者を認め、大切にする」ことであり「自分はこの社会の中の大切な一員だ」という実感ではないでしょうか。

そして今こそ、対話によってお互いに理解し合うことが重要になってきています。
世界各地で起きているテロ事件や流血の惨事も、違った文化、社会階層に属する人どうしが互いに分かちあい、相手を理解し合うこと以外に解決の道はないことは明らかです。
本当は武力では何も解決はしないことは、誰もが気づいているのではないでしょうか。
今日の社会の中にこそ、お互いに支え合い、分かちあい、理解しあえる場が本当に必要なのだと、私は思うのです。

私はいろいろなところで行うプレイバック・シアターを通して、「お互いに支え合う場」をその時そこにいる人々とつくることを行っています。
それはお互いに支え合い、自分と相手の価値を認めることのなかにこそ、将来の平和と幸せへの希望を見つけることができるからです。

プレイバック・シアターを通してお互いに支え合う喜びを、年代や人種、価値観、障害を持っている人、持っていない人などの様々な境界を越えて、多くの人々と分ち合うことが、私の喜びです。

多分プレイバック・シアターの創始者 J.フォックスが描いた「コミュニティのなかで、人と人のつながりを育む」ということも、きっとそういう事を考えていたのではないかと思うのです。


羽地 朝和