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プレイバック・シアターとパフォーマンス学 中家 八千代
プレイバック・シアターとパフォーマンス学
社団法人パフォーマンス教育協会2004年度 発行 「パフォーマンス教育」3号

1.プレイバック・シアターの目的と活動領域
プレイバック・シアターは1975年にニューヨーク在住のアメリカ人Jonathan Foxのひらめきから生まれた即興劇であり、心理劇です。

彼は、ハーバード大学で文学を学んだ後、ネパールでボランティア活動を行ううちに、その村のコミュニティのあり方に触発 されます。
そこに「語る」「関わる」「演じる」「支え合う」「分かち合う」「癒される」など、プレイバック・シアターの原点となるものを見出しました。

プレイバック・シアターは「自分のことを語る、他者の気持ちを受け止めてそれを味わう、そしてそれらを表現する」ことを通してホッとしたり、少し心が温かくなったりするコミュニケーションの場です。

例えば、時として自分の自己表現の失敗に心を痛めたり、またある時は自分の思いを飲み込んでその場に合った自己表現ができたものの、飲み込んだ思いが胸の中に引っかかったままであったりと、心は常に揺れ動きます。
そんな人生の1シーン、日常の何気ない出来事、大切な思い出、痛みの伴う体験など、どのような話でも良い・悪いなどの評価をせずに、即興で劇にし、全員で分かち合います。

現在では世界30余国において様々な領域、様々な用途で実施されています。地域社会、学校、病院、老人施設、企業等で、コミュニティづくり、社会活動、教育、福祉、セラピーやカウンセリング等に活用されています。

例えば、第8回プレイバック・シアター世界大会が、昨年日本で開催されましたが、その折、私はインド人のクリスティーヌのワークショップに参加しました。彼女は「カースト制度における人権問題」に取り組む社会活動家です。
「カースト制度下にあっては、人間扱いされないような状況に対し"カーストだから仕方がない"と信じこんでいる人々に言葉や理論などでは理解してもらえないからプレイバック・シアターをストリートで行いながら活動している」と述べていました。
この例は、ソーシャルチェンジ、社会活動の領域です。

私が所属しているプレイバック・シアター研究所代表の羽地朝和氏は、精神科クリニック、病院などで精神集団療法、グループカウンセリングといったセラピーの領域で多く用いています。

また、プレイバック・シアター研究所では、あらゆる場にプレイバク・シアターを提供できるように日頃から練習を積んでいる "プレイバック・シアターらしんばん"というグループを作っています。

このグループでは各種学校や企業研修など教育領域、老人施設などの福祉領域、いろいろなコミュニティの場でのプレイバック・シアターを提供しています。
私自身はセラピーの場においてはスタッフとして、他の領域では担当者としてもプレイバック・シアターを提供しています。

このようにプレイバック・シアターの活動領域も用途も多様性に富んでいます。
しかし、どのシチュエーションであったとしてもその根幹にあるものは「分かち合いの場」であり「人と人をつなぐ場」であるということです。
ですから、プレイバック・シアターは参加者の一人一人が大切にされる肯定的な場であり、参加者が自発性と創造性を発揮できる場として存在します。

では、具体的なイメージを持っていただくために、私自身のプレイバック・シアターとの出会いについて述べ、その後、パフォーマンス学との関係について言及します。

2.プレイバック・シアターとの出会い
1997年9月。当時勤務しておりました企業における社員教育研修の一環として受講したことに始まります。

在籍していた人材開発室は社内とグループ企業を中心に研修を商品として営業しているセクションで、私はインストラクターという立場でした。そのセクション全員(管理職、営業、インストラクター)が参加する研修として実施されました。

しかし、研修自体の目的や内容ははっきりされておらず、「新商品(研修)の開発の参考に・・・」というアナウンスと事前にプレイバック・シアターのミニ体験コースに参加してきた上司から「劇をする。僕はこの間は子猫の役をしたんだ!」「ハーバード大学を卒業したジョナサンという人が、ある朝フトひらめいて始めたらしい。」「当日は、ラフな格好で参加するように。」このような情報しかありませんでした。

私は演劇は好きでしたから、楽しみに思う反面、研修の手法として参考にしろ、ということなのか、それにしても劇を研修に生かすなんて可能なのだろうか?セクションのスタッフ全員で劇をすることにどのような意味があるのか? 頭の中は「???」状態でした。

当日の朝、プレイバック・シアターを担当する羽地朝和講師がラフな格好でお見えになり、研修室で準備を始めていました。
準備されていたものは、色とりどりの布、簡単な楽器類でした。そして机はなく、椅子が人数分サークルになっておかれていました。

それまで、私が経験していた研修やセミナーとは全く違う印象を受け、何をするのか、不安な感じでスタートしました。

研修は「楽しく、ほっとできて、ひとりひとりにとって何か意味のあることを感じとれる場を、これからみんなでつくりましょう。」と見るからに好青年という雰囲気の羽地さんの言葉から始まりました。

私は、この時点でワクワクする気持ちと同時に「なんて呑気な!」という思いがありました。

転職してすぐの時期で、前職ではシビアな営業研修を担当していたものですから、会社がわざわざお金をかけて数字とは関係のない「楽しく、ほっとする場をつくる」という研修を実施するなどということは、この時点では理解できませんでした。

次は会場全体を地図に見立てて自分の位置(「最近の自分」「子供の頃の自分」「行ってみたい場所」etc.)に立つワークでした。
地図の上で近くになった人と3人1組でいろいろと語りました。
転職して間もなかった私にとっては、上司や先輩とのそうした語らいは確かに、とても楽しく、ほっとする時間となりました。

いくつかのワークの後、「私の大切なもの」というワークを行いました。3人1組で自分が大切にしているモノについて話します。
まずAさんが語ります。Bさんはその話を聞きます。Cさんはその二人を見守ります。
Aさんが語った後、BさんはAさんの大切なモノになって想像力と創造力を働かせ、持ち主のAさんに語りかけます。

私が最初に語りました。
私の大切なモノは「主人」でした。当時、家庭にトラブルを抱えていた私には大切な「モノ」は浮かびませんでした。

Bさんである先輩に主人には言えない思いを語りました。この時点では、Bさんが「モノ」になることを知りませんでした。
講師の指示で、語り終わった後、Bさんが「モノ(主人)」になって私に語りかけてくれました。
「そんな風に思ってくれていて、ありがとう・・・」その言葉は心に染みました。
本人は、まず口にしない言葉でしょうが、先輩の口を借りてはいても彼の本心にある言葉だと素直に思え、直面している問題と向かい合う勇気をもらいました。

次は、私は見守る役。お父さんから貰った腕時計のストーリーでした。
そして、次に私は聞き手です。語られたのは「ぬいぐるみのポンちゃん」のストーリーでした。聞きながら、その語り手にとってポンちゃんがいかに大きな存在なのかが感じ取れました。

そして私はポンちゃんとなって持ち主に語りました。
「ありがとう、僕を大切にしてくれて…僕も○○ちゃんが大好きさ・・・○○ちゃんが結婚してダンナ様ができて、前ほど僕と遊んでくれなくなって、確かに寂しいよ。でもダンナ様が○○ちゃんを大切にしているから安心さ…」

考える間もなく、口から言葉がどんどん出てきます。
目からは涙も出てきます。この持ち主にかわいがられていることが嬉しくて、この持ち主に幸せでいてほしくて・・・でも少し寂しくて。
このときの私はすっかりポンちゃんでした。持ち主もポンちゃんの思いを聞いて泣いていました。

「では、役を置いて、自分自身に戻りましょう」との講師の声に自分自身に戻りました。
少し熱演(?)し過ぎたようで恥ずかしい気分になりましたが、演じたこと、演じてもらったことは私の琴線に触れ、すでにこの時点でプレイバック・シアターをライフワークとすることをコミットしていました。

その後も、いろいろな形でお互いに語り、受け取り、表現し、見守りました。

終わる頃には全体に温かい空気が充満していました。
特に、私自身は、転職したばかりの時期であったこともあり、上司や先輩に心を開いていなかったのですが、苦手に思っていた方ともしっかり関わることができ、自分自身も他の方々に受け入れていただけた感があり、お互いの信頼関係ができたように思えました。

最初に講師の羽地さんがおっしゃったように、楽しく、ほっとできる場であったと同時に、皆でつくっていった分かち合いの場でした。
そしてやはり参加者ひとりひとりにとって何か意味のあることを感じとれる場でもありました。

当初の目的であった手法やスキルを参考にする、といったような表面的な目的以上にそれぞれが手に入れたものは大きかったようです。

企業の教育研修の側面から見ても結果的に大きなメリットがあったものと思われます。
 ・スタッフ間の信頼関係の構築(相互理解)
 ・メンタルヘルス効果(自己開示、自己受容、他者受容)
 ・リフレッシュ効果(子供心で楽しめるワーク)
 ・創造性、表現力の開発(自己表現のワーク)
以上のことから、各自のモチベーションがアップし、それぞれの人間関係が円滑になりましたので、日常の業務がより効率的に進むようになり、セクション内の活性化に多いに繋がったものと思われます。

好評につきこの翌年、再度羽地さんにお願いして実施し、その翌年からは私が担当してほぼ年に一度のペースで実施しています。

3.プレイバック・シアターの構造
先に紹介した「私の大切なもの」はプレイバック・シアターの基本構造が凝縮されたワークです。

プレイバック・シアターの基本構造は「誰かが語り、それをその場にいる人が受け取リ、ある人はそれを演じ、ある人はそれを見守る。」というものです。その中心的手法は"ストーリー"と呼ばれる即興劇です。

プレイバック・シアターでは語り手を募りますが、その語り手を「テラー」、テラーの語ったお話しを「ストーリー」、そのストーリーを演じる人を「アクター」、アクティングに音を加える人を「ミュージシャン」、全体進行をし、テラーの話を聴く人を「コンダクター」、そし て見守る人を「オーディエンス」と呼びます。 このストーリーを演じるときには舞台が必要です。

大抵の場合、本格的な舞台ではなく、その部屋の一部を舞台に見立てるということです。(図1参照) 進め方は、パフォーマンス(公演)形式とワークショップ形式の2種類があります。

パフォーマンス形式では、コンダクターが司会進行をし、オーディエンスからテラーを募り、そのテラーのストーリーを日頃トレーニングを積んだアクターやミュージシャンが打ち合わせなしの即興で演じます。

先に、紹介した私の事例はワークショップ形式です。
ワークショップ形式では、コンダクター以外は、プレイバック・シアター未経験者という場合が殆どです。
この場合はまずグループの醸成に時間をかけます。

いくつかのワークを使いながら、お互いが語り、それを受け取る、そして徐々に表現していく、というプロセスを丁寧に踏んでいきます。
「劇なんか、やったことがない」「演じるなんて、恥ずかしい」という方が、今までどれだけの名演、好演を演じるのを目の当たりにしたかわかりません。

プレイバック・シアターでの名演、好演とはアーティスティックな演技力があるとか、上手に演技が出来た、という意味ではありません。
どれだけ、テラーの話に耳を傾けることができたか、それを精一杯感じるままに表現しようとしているか、他のアクターと呼吸を合わせているか、という点です。
テラーの語ったエッセンスを感じて、それを誠実に表現しようとしたかが、大切なのです。

テラーの語るストーリーは、そのテラーにとって重大な出来事であるかもれませんし、何気ない人生の出来事の一片かもしれませんが、そこで語る、ということには意味があるのです。
語られるストーリーはほんの断片であったとしても、その奥にはきっとたくさんの思いや意味が含まれています。そのストーリーを解釈するのではなく、素直にそのテラーの語った思いを感じて演じるのです。

表現されるものは100%その場面をプレイバック(再現)しているか、といえば違うでしょう。
また、その必要はありません。エッセンスが表現されていればいいのです。

近松門左衛門が「芸とは、虚にして虚にあらず、実にして実にあらず、この間に慰みがあるもの也」という言葉を残していますが、プレイバック・シアターはまさにこの言葉そのものです。表現されるものは、事実そのものではありません。

しかし、そこにそのテラーのストーリーのエッセンス(ハートオブストーリー)が表現されてこそ、テラーに満足感や癒された感じや、温かい感じや、新しい発見や・・・なんらかの感動を見出してもらえるのです。
ですから、演技のスキルの有無に拘わらず、誰もがアクターとして精一杯演じることによって十分素晴らしい劇ができるのです。

テラーは、自分のストーリーが演じられるのを客観的に見て、その劇からだけでなく、その場にいる皆から大切にしてもらえた喜びを感じます。
アクターは、精一杯演じることによって、テラーに喜んでもらえた、という事実に嬉しくなります。
ドキドキしながらも力を合わせて劇を創ったということへの達成感を味わい、本来自分が持っていた自発性や創造性が喚起され、表現できたことに驚きを感じます。

例えば、テラーは自分自身が怒りを表すことが苦手でも、アクターにしっかりと怒りを演じてもらうことでカタルシスとなる場合もありますし、反対にアクターだったからこそ、日常の自分自身では表出できない感情を思い切り表出できたという場合もあります。
見守っていたオーディエンスは、それぞれがテラーのストーリーに自分自身のストーリーと重なる点を見出し、千千に思いを馳せることになるのです。

このようにグループの力と即興劇の力で相互に支え支えられ、響きあい、感じあう分かち合いの場、人と人をつなぐ場が形成されます。
この点においては、心理劇の代表的手法であるサイコドラマも同様なのですが、サイコドラマでは自分が自分自身を演じるのに対し、プレイバック・シアターでは語り手(テラー)は演じることはなく、ストーリーは演じる人(アクター)に託すところが大きな構造上の違いです。

4.パフォーマンス学との関係
ある意味でパフォーマンス学とプレイバック・シアターは対極にあります。
パフォーマンス学は「日常生活における個の善性表現」(佐藤,1995)、すなわち自己呈示を学ぶものですが、プレイバック・シアターは「非日常の場で自発性と創造性を発揮する自己表現」で、自己開示に主眼をおいた自己表現の場です。

とはいえ、プレイバック・シアターの場でもそれぞれがその役割をしっかりと自己呈示して担います。
パフォーマンス学的にいえば、コンダクターは「全体の責任者」というロールを演じ、アクターは「誠実に演じると」いうロールを演じ、テラーは「自分自身のことを語り、客観的に見る」というロールを演じ、オーディエンスは「しっかり見守る」というロールを演じています。

では、「非日常の場で自発性と創造性を発揮する自己表現」は「日常生活における個の善性表現」にどのような影響をするのでしょうか。

パフォーマンス学では、EQ(感じる知性)の必要性を学びますが、プレイバック・シアターは、即興劇を通して自己認知・自己受容と他者理解・他者共感を体験するEQ世界といえるでしょう。

「日常生活における個の善性表現」をするには、等身大の自分自身を知ること、相手を理解しようとすることが必要です。
プレイバック・シアターは五感プラス第六感を駆使してコミュニケーションを図ろうとする中で、創造性と自発性に富んだ自己表現を行い、自分自身の知らなかった自分を発見することができます。
また相手を理解するために、相手の自己表現から発せられるいろいろな信号を読み取ろうとします。

ですから「非日常の場で自発性と創造性を発揮する自己表現」の場であるプレイバック・シアターは「日常生活における個の善性表現」に向けてのリハーサルの場であるという側面を持っていると言えるでしょう。

昨日、若い援助職の方々とのワークショップを行いました。その中で語られたストーリーを例に挙げます。

Rさんは援助職を目指す女子学生です。
2ヶ月前にある・変・な・・・・おじさんとの関わりで、「怖く、嫌な思い」をしたストーリーを語り、即興劇で見たのですが、昨日はその後、その・変・な・・・・おじさんとの関係が変化していくストーリーを語りました。
「あの劇を見た後、あのおじさんはただ寂しいだけではないのかと思うようになり、こちらから笑顔で挨拶するようにした。
すると今では少し心を開いていろいろな話をしてくれる。あのおじさんに幸せになってほしい、と願う今日この頃である。」という内容でした。

続いて、プレイバック・シアター初参加の病院で働くMさんがそのストーリーに触発され
「職場で関わる・変・な・・・・おじさん」のストーリーを語り、劇で見ました。
見終わって「この通りです。びっくりしました。私はちゃんと関わりたいと思っているのに、いつも困ってこのようにワンパターンの反応ばかりしています。でも次は、こうしてみます!」と具体的な言葉がけと態度について感想の中で述べていました。

Rさんは「非日常の場」でストーリーを見たことによって、心の動きがあり、それにともない「日常における自己表現」のあり方に具体的な変化が起こり、新しい関係性を構築するに至りました。

Mさんはそのストーリーに触発され、自身が今抱えている職場の問題、彼女にとっての日常における自己表現のあり方を振り返るストーリーを語り、それを見ることによって、別の自己表現の可能性を見出し、新しいコミュニケーションの構築に期待を持つことができました。

そして、このストーリーを見ていたSさんもある・変・な・・・・おじさんとの関わりを思い出し、自分も関わり方を変えてみよう、と思ったとのこと。

このようにテラーは自分の主観的体験を語りますが、ストーリーが演じられると、その場・その時・その関わった相手に対し、いろいろな角度からそれを客観的に見ることできます。
そこからなんらかの気づきが生まれます。相手に共感を抱き、理解を示すことができます。顕在化されていなかった自分自身の思いを知ることができます。

MさんがRさんのストーリーに触発され、またその二人のストーリーが観客であったSさんを触発したように、その場に一緒にいるアクターもオーディエンスもそれぞれに思いが涌きあがります。
一つのストーリーを通して分かち合いができるのです。肯定的な非日常の場であったからこそ、改めて、日常の自分自身について知り、相手について知り、新しい可能性を見出せたのでしょう。
まさに、パフォーマンス学のベースにある自己認知・自己受容と他者理解・他者共感を体験できる手法といえるでしょう。

プレイバック・シアターはパフォーマンス学を学び、実践していく上で必須ではありません。他に代わるものもあるでしょう。
しかし、非日常の場だからこそ経験できる「心」と「自己表現」の気づきが、「日常生活における個の善性表現」に磨きをかける一役を担うことも間違のないことです。


社団法人パフォーマンス教育協会2004年度 発行 「パフォーマンス教育」3号

Copyright 2006 © プレイバック・シアターらしんばん. All rights reserved.
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