連載☆2017G.W.合宿〜序章 ファシリテーターの対話(6)〜

2017年04月05日水曜日 (株)プレイバック・シアター研究所 事務局

序章 〜ファシリテーターの対話(6)〜

ーみー、初投稿、ありがとう〜!
西成はもう2年前のことになりますか!
4、5年は経ってる気になっていました。
西成での釜芸、緊張してたんだね!
でもさ、その割には怒って発言しているおじさんたちに「なんか小学生みたい」とかしっかり発言してなかったっけ?そんな風にはっきり言ってくれる人、おっちゃんたち、大好きだから、大人気でしたね。
またおいでよ〜。今度は熊野とか連れて行きたいな〜。

そして、「影響受けやすい羽地さん」なんているんですね〜!知りませんでした。

羽地さんの問いに答えたいこといっぱいありますけど、それやってると永遠にやれるので、いつまでたっても合宿の内容に入っていけない気がして
二つだけ、ピックアップしますね

まず、言葉の記憶について
昔からセリフ覚えができません。自分が役者になれないな〜と心底思うのはセリフが覚えられないからです。

ただ文章を朗読するのは大好きです。なぜ好きかというと、声に出して読んでるうちに、読んでる自分がいなくなってしまうからなんです。
普段は感覚を使って仕事しているので割と自分の感覚に引っ張られます。その場に相応しくなくともそれに反応した感覚の方が何かを主張してきたりして、それが厄介なことでも無視することができません。

でも朗読をしている時には、その感覚は文章の中を泳ぐことに使うので余計なことを考えなくなるのです。そうすると自分がどんどん透明になって、なくなって、文章を音読する声だけになる感じがします。良いも悪いもない、声だけの世界。そんな世界が朗読にはあります。

前回、「言葉の仮止め」と言ってくださったように、気になった言葉は、音に出して空中にスタンプしておきます。その時気をつけるのは自分勝手な言葉に直さないということなんです。「てにをは」までできるだけ忠実に音にしておく。そうすると、取り出したい時に、その音を辿ればいいという仕組みなんですが、なかなか言葉にすると難しいことをやってるように思われますよね。でも、やってることはそれです。
そんなに長いこと記憶していませんよ。仮止めした言葉は、時間が経つと綺麗さっぱり無くなります。羽地さんのことを覚えているのは、そのファシリテーションに興味があるからですよ。

言葉の意味を記憶すると、いつのまにか自分勝手な世界に頭の中で書き換えてしまうので音にして記憶しておこうとします。
ワークショップの中で扱うのは、その気になった音と前に同じような音を発するなと感じた時に、「そういえば、さっきこんなこと言ってましたね」と音を出すと、発した人が勝手につなげて行ってくれるのです。

そしてもう一つ、
「お互いに相手が担当している場では、自分として参加してみましょう
ということなのですが
そもそも自分として参加する、ファシリテーターとしている
の間に僕は違いがあるようにとらえているのだということに
気がつきました」

これ!これ!これが、今回の肝ですね!!
そうなんです。羽地さん、よくこれをいうんです!
一昨年の合同ワークショップの時も「自分として参加します」っていってました

でも自分として参加してなかった時に参加者から後でツッコミ入ってましたよね「羽地さん、その場に居たけど居なかったって」
参加者にもわかるくらいわかりやすく羽地さんは参加者として居ることとファシリテーターとして居ることが違うのですね

私はそこをあまり意識したことがないです
でも一緒です、というのも違うと思います
違いは強いていうなら
ファシリテーターとして進行しているときは見てる視線の範囲が違う気がします
ファシリテーターの時は、よく遠くを見てる感じがします。

さて、合宿の内容の話をそろそろしましょうか
クロスオーバーだから私はプレイバックをするのですよね
このプレイバックをするというのは、今の所、やり方が二つ考えられます
私がプレイバックをするならこんな感じになる、というアレンジのと
まさしくプレイバックの手法をとりあえずはそのままやってみて、自分の中に何が起こるかを観る
という二つのやり方

先日、友人の澤祐典さんという方が能楽師の安田登さんの「あわいの力」の本を紹介してくれました。能は私は小学1年生から習っていたので親しみがあります。30代でやめてしまいましたが、今でも時々見に行きます。
ちょっと抜粋してみますね

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「能の世界では、心を
「こころ」「おもひ」「心(しん)」
の三つの層があると捉えているそうです。
「こころ」は一番表層にあって、
「心変わり」というように
激しく変化しているもの。
その下には「おもひ」があって、
さらにその底には
「こころ」「おもひ」とは
異質の「心(しん)」がある。
 * * *
 人間の感情のずっとずっと奥にある、言葉を伴うことなく一瞬にして伝わる何か、それが「心(しん)」です。
【中略】
能の演技によって解凍された「おもひ」は、観客のなかの奥深くに隠れている「おもひ」と同期して、ふだんは眠っている観客の「おもひ」を目覚めさせます。
 しかし、その「おもひ」によって生み出される「こころ」はひとりひとりまったく違います。
 生育歴をはじめとする過去のさまざまな記憶、そのときの身体の状況。 
 そういった個人に属するさまざまなフィルターを通過して、深奥にある「おもひ」は「こころ」となって意識にのぼります。
 私たちが意識として認識できるのは、この「こころ」だけです。 
 ですから、能の観客は、同じ演目を観る客席にいながら、全員違うことを観ているのです。
 * * *
このような作用を起こすために、
能の振りは意味を持たないそうです。
意味があっては、
理解可能な「こころ」の領域に
属するものになってしまうから。
能の観客は深奥にある
「おもひ」を刺激されることで、
個人に属する「こころ」を認識する。
僕らの心の奥のほうには
個人には属していない、
いわば共同所有している
鐘のようなものがあって、
能の演技によって、
それが刺激されて「とーん」と鳴る。
その音の振動が
一人ひとりの「こころ」を刺激して、
それぞれまったく違った
感動を呼び起こす。」

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澤さんは名古屋を中心に「魂(たま)うた」という活動をされている興味深い方です。いつかまたご紹介したいです。

私もいつもワークショップの中で「おもひ」「心」のところを扱えないかと思っています
この未開の部分を自分勝手に「真(しん)」と読んでいました。

しかし、ワークショップでそれを目的に掲げると「しん」を言葉で説明しなくてはいけないのでやはり「わかる」世界のことになってしまいます
なので「しん」を横目で捉えつつ、違うことをする
そんな場を作れないかといつも思っています

考えてみれば、プレイバックの手法を私はほとんど知らないので
プレイバックをする時も自分なりにやるしかないかもしれないですね
大きくわけると3つのアプローチの仕方に分けられるでしょうか

・始まりからメインの活動に行くまで
・語り手がいて、話を伺うコンダクター(私)がいる。そして語り手の語った言葉を何らかの形で表す人たちがいる、メインの活動
・最後の場の閉じ方

この3つで場を構成する
メインの活動では、書いてみたものの、この通りにできるかどうかはまだわかりません
今のところはそんな風に思っています

羽地さんは何をクロスオーバーされるのでしょうか?
あ、提案です!
ファシリテーターになった時に「自分」として居てみるというのはどうでしょう?(←挑発)

ー岩橋由莉