心を育むプレイバック・シアター 〜子ども達との実践〜

 

プレイバック・シアター実践リーダー養成プロジェクト第5期卒業論文

大村 沙季子

 

『心を育むプレイバック・シアター 〜子ども達との実践〜』

 

―目次―

はじめに

第1章 プレイバック・シアターが子ども達に与えたもの

1.聴く力
2.相手の為に・相手を思いやる
3.受け止めてもらう経験

第2章 コンダクターとしての留意事項と大人としての子どもへのあり方

1.子どもの目線に合わせて
2.メッセージを伝え続ける
3.Yes andの対応
4.子どものエネルギーの向け方

第3章 子ども達とプレイバック・シアターの可能性

1.誰にでもスポットを
2.親子のコミュニティの場

 

 おわりに

 

 

はじめに

  「褒めて育てる」「子どもの気持ちを受け止める」。育児書や教育関係の書物を開けば、よく目にする教育の考えがある。それは私の教育理念の中でも大切にしていることだ。

 私は障がいを持つ子どもの療育の仕事をしながら、仕事とは別に、地域の子ども演劇団の代表として子どもたちのマネジメントを行い、常に子どもと携わる生活をしていた。

 その上で、常日頃子どもたちへの言葉の掛け方、接し方、考え方は常に模索していた。

 

 私たちの演劇団体は、舞台作りだけでなく人材育成を目的に活動を進めている。演劇活動を通して子どもたちに伝えていることがある。

「どんな人でもwelcome(受け容れる)」「Yes and で相手を否定しないこと」

 決してルールではないが、潜在的につくられてきた理念が子どもたちに浸透し、子どもたち自身がその理念を大切にし、“安全な場”を作り出している。

 そして演劇やダンス等の表現を通して、「出来た」「認めてもらえた」という経験、自分自身が受け止めてもらう経験を繰り返しながら、自身を認めることができ、自己肯定感がうまれる。すると次は他者に対しての興味が広がり、相手を認めることに繋がっていく。そこから思いやる心、感謝の心が芽生える。

 そういった場作りを大切にしながら、子どもたちと活動を続けてきた。

 

 そんな中、ある方の紹介で、羽地朝和氏によるプレイバック・シアターと私たち団体は出会った。台本はなく、その場で語られたストーリーが即興で目の前で演じられる光景に、子どもたちは圧倒され、引き込まれていった。

 そして沖縄で開催される“きじむなーフェスタ”というイベントにプレイバック・シアターを用いて私たちの団体が参加することが決まったことをきっかけに、子どもたちとのトレーニングが羽地氏によって始まった。

 

 正直、私自身その当初はプレイバック・シアターにあまり関心がなく、外部の講師の方をお招きして、子どもたちに新しい経験の一つとして、プレイバック・シアターを体験する、と とらえていた時期があった。

 しかし、トレーニングに私自身が参加したことで、その考えは大きく変わった。それは場を提供するコンダクターのあり方を始め、トレーニングを続けていく子どもたちの変化から見えてくるものがあった。私たちが大切にしている理念に通ずるものがあり、子どもたちを教育する上で必要とする要素がいくつも盛り込まれていることに気付いたのだ。

 プレイバック・シアターは今や私たち団体にとって不可欠なワークになった。

 

 この論文では、プレイバック・シアターが子どもに与える教育的要素、そしてその留意事項について、また今後の子どもがプレイバック・シアターに携わる上での可能性を、私が子ども達と体験したこと、そして羽地氏のプレイバック・シアター実践で起きたこと・羽地氏へのインタビューを基にして論じている。

 

 

 

第1章 プレイバック・シアターが子ども達に与えたもの

 

1.聴く力

 プレイバック・シアターは即興劇である。台本もなければその瞬間まで誰が語り、そしてどんな話しで始まり、どんな結末を迎えるのか、それは誰も知ることはできない。

 普段“台本”をつかった演劇を続けていた子ども達にとって、“即興”はこれまでに経験が少なく、どちらかというと苦手なことだった。“台本”=答えがすでにある、とすれば、“即興”は語り手(以下テラー)が語るストーリーから、ハートを読み取り、自分なりの表現で表すことで見出していく。つまり=考える力、それを表現する力が必要となる。

 そのためには、一番根本的に必要なことは「聴く」力ではないかと考える。

 劇団のYくんの事例を挙げたい。

 

・Yくんの事例

 当時中学1年生のYくん。明るく人懐っこい性格で、演じることが好きで、 稽古でも積極的に参加する子だった。しかし、集中力に欠ける部分があり、稽古講師が指導している時でもキョロキョロと周りを見渡したり、落ち着かない行動が多々見られていた。プレイバック・シアターのトレーニングを始めた頃も同じような様子で、役者(以下アクター)をつとめていても、語り手の話しの途中で遠くを見つめていることもあった。アクティングにもそれが影響し、時折つじつまがあわないようなストーリーになることもあった。

 羽地氏は子ども達に「テラーのハートを大切にしよう」とよく声をかけていた。「話しの内容だけでなく、テラーの表情や話し方からにじみ出る感情、しっかりハートに耳を傾けましょう。」Yくんもそんな羽地氏の指導の下、彼自身が意識的に努力し、聞く態度を変えていく様子が見られた。ジーッと真剣な眼差しでテラーをみつめ、「見てみましょう」というコンダクターの声が聞こえる迄、緊張していることが伝わってくる。演じ終わった後、テラーの感想を聞き、彼は安心して嬉しそうにいつもの優しい表情に戻る。

 彼の態度はプレイバックだけでなく、普段の仲間とのコミュニケーションにも変化が見えた。一方的だった話しも、相手の話しを聞き、“対話”するようになり、落ち着きも見られてきた。全てがプレイバックの影響とは言えないが、少なくとも「聴く」経験を彼に与えたのではないかと思う。

 

 以上はYくんの事例だが、劇団のこどもたちも全体的によく人の話しを聴 くようになった。相手の話しの中に多くの情報が多くあり、それをしっかりと聴くことで自分たちの動きにも影響することを、プレイバック・シアターで体感していった。その経験が生活の中でも、友だちの話しを聞いたり、集まりの中でも注意して耳を傾けることができるようになったと感じる。

 

 2.相手のために。相手を思いやる。

  「誰のために演じるか」ということがプレイバック・シアターでは明確である。目の前で語ってくれたテラーのために演じる。それは私たちチーム作りにも大きく影響した。「誰かのため」に演じる体験が、子ども達へどのような効果につながるのか考えてみたい。

 

  • 中学生と高校生リーダーのプレイバック・シアター

 プレイバック・シアターのワークショップを劇団で企画したが、その日は代表リーダーのM(当時高校2年生)、そして劇団の中間部を支える中学2年生グループ4名、そしてコンダクター羽地氏と私の7名の参加だった。

 いつもと変わって、こじんまりとしたワークショップの中で、Mはテラーとして手を挙げた。「M姉ちゃんの為なら」と率先して中学生達がアクターとして前に出てくる。Mはいつも笑顔を絶やさず、ハツラツとした態度で、みんなをよくまとめ、とても頼りにされる存在だ。

 Mは「何から話そう、みんなに言って大丈夫かな〜」と困惑しながらも、コンダクターによって、ストーリーを語り始めた。

 

「劇団の稽古はとても楽しい。みんなも一生懸命だとも思う。ただ、受験を控えているため、自分がココから抜けたとき、自分が先輩から受け継いできたものが、今の後輩達に受け継がれているのかが、とても不安。」

 

 いつもの明るい表情とは違うMの顔を見て、中学生達は少し不安そうである。しかし、アクティングが始まると、そんなMの気持ちを察してか、中学生達は今の自分たちの精一杯を演じた。基本的にプレイバックはテラーが語ったものを演じるものだが、Mが語っていない部分(Mがいない時の劇団の様子や会話等)も演じ、実際当事者でもある彼女達ならではのアクティングだった。

 そのアクティングからは、「M姉ちゃん、私たちに任せて大丈夫だよ!」という、Mの「不安」というハートに寄り添うメッセージがしっかりと込められていた。Mもそのように受け取り、逆に自分の気持ちだけでなく、後輩達の想いを見れたことに甚く感動していた。

 ストーリーの後、アクターにも感想を聞いた。「M姉ちゃんがそんな不安を抱えているとは知らなかった。」「私たちのことを想ってくれてるんだと、嬉しかったです」「これから自分たちもしっかりしていかなきゃと思った」と、彼女たちからもMに対する熱い想いを語った。Mも「後輩達に気持ちを打ち明けるようで、話すか悩んだけど、伝えることができて良かった。みんなありがとう」と話した。

 

 語った人の気持ちを演じてみることで、相手の気持ちを体験し、感じることが出来る。そして自分なりに表現したものをテラーに返していく。テラーはプレゼントをもらったような反応で、感想を語る。アクターは相手にどう受け取ってもらえたのか反応をみることができ、今自分がしたことが、人の為に役に立てたのだと、喜びへとつながる。プレイバック・シアターはそれを体感させてくれる。

 「相手の立場にたってみて考えて」という抽象的な言葉かけよりも、実際にプレイバック・シアターを用いて体験させていくことで、具体的に子どもたちは、相手の立場になる、相手を思いやるという気持ちが芽生えるのではないかと思う。そしてそれが円滑なコミュニケーションへと繋がり、チームワーク作りとしても効果的に反映していくのではないだろうか。

 

3.受け止めてもらえる経験

 子ども達から出てくるストーリーは、学校や家庭での楽しかった思い出がよく出てきた。そんな中、しばらくトレーニングを重ねて行くうちに、子ども達から“いじめ”に関するストーリーが出てきた。

 

・Rちゃんの事例

 

「クラスでもリーダーシップをよくとり、いつも休み時間には友だちの輪の中  

 心にいた。しかしあるドッチボールをしようとした時のこと。友だちの一人

 が「Rとは同じチームにならない」と言った。すると他の何名も同じように、

 自分と違うチームに入っていった。自分にはどうしてそのようになったか分 

 からない。辛かった・・・・」

 

というストーリー。

 私はこの時コンダクターを務めた。彼女(R)の想いを和らげたい一心で、「友だちとどんな関係になりたいか」という未来のストーリーを続けて見てみようと、提案した。しかし、彼女から希望を持った言葉はなかなか出てくることはなかった。「わからない」と首をかしげる彼女を見て私はハッとした。これは彼女の為ではなく、ハッピーエンドにすることで場を和らげようとする自分の勝手な想いだということに気付いた。

 その後、羽地氏がヘルプに入る。羽地氏は未来のストーリーは続けず、そこに参加する子ども達をRちゃんの周りに集め、自身は彼女の肩を抱いた。「みんなで今のストーリーをみて感想を語ってみよう。」そう羽地氏が言うと、しばらく皆黙っていた。もしかしたらこのようなストーリーは、学校現場において多々ある光景なのかもしれない。このグループの中にも、Rちゃんと同じような経験がある子、その反対の立場にたったことがある子、そのような様子を外から傍観したことがある子、それぞれが複雑な想いをもちながらその場にいたであろう。 

 子ども達が口を開き始めた。「自分も同じようなことで悲しかったことがある。」「いじめをやっている時は、相手がどんな気持ちになっているか考えていない。自分のことだけを考えているのだと思う。」「見ていて何も出来なかったことがある。もしまた自分の周りで同じようなことが起きたら、声をかけてあげたい」。彼女の痛みをしっかり受け止め、自分なりの言葉で一人一人想いを伝えていた。次第に暗かった彼女の表情が少しずつ安心した表情になっていくのがわかった。「自分だけがこんな想いをしているのではないんだとわかった」と最後に彼女は安心した表情で言った。

 

 この体験は、子ども達にとって、プレイバック・シアターの場が単に“楽しい劇を演じる場”ではないと、子ども達自身が気付くきっかけとなった。自分の気持ちや存在を委ねられる場。受け止めてもらえる場だということ。

 それはコンダクターのあり方も大きく影響したといえる。大人から子どもを見ると、つい自分の経験や価値観で物事を判断してしまい、気持ちに寄り添えずに意見を押し付けてしまうことがある。そうではなく、羽地氏のようにまずはその気持ちと一緒に歩む姿勢が必要なのである。自分のことが受け止められたことを感じて初めて、人の意見を聞く気にもなれる。それは大人も同じだろう。彼女のストーリーは決して解決はされていない。プレイバックは解決する場でもない。しかし、“受け止めてもらえる安全な場”があることで、彼女はまた学校生活へと戻っていけたのだろう。子ども達はそんな心の拠り所を求めているのではないだろうか。コンダクターのあり方としても、大人のあり方としても、とても学ぶことが多いストーリーであった。

 

 

第2章 コンダクターとしての留意事項と大人としての子どもへのあり方

 

 第1章では私が子ども達と体験した上で、プレイバック・シアターの実践が子ども達の心を育む要素があることを論じた。第1章の最後にも述べたが、私はプレイバックの実践の中に、プレイバック・シアターだけでなく、大人として子どもに対するあり方のヒントがあると感じている。

 ここではプレイバックを子どもたちに実践する上でのコンダクターとしての留意事項を述べるとともに、子ども達に対するあり方と共通することを述べたい。

 

1.子どもの目線に合わせて

 羽地氏が子どもと関わる上で必要だと感じたときの出来事を語ってくれた。

 

「それは私(羽地)がプレイバック・シアターを始めて間もない頃、静岡県焼

 津にて子供館の立ち上げのイベントで3歳の子どもとの出会いから。

 

 (ストーリー)「いつも朝、お母さんもお兄ちゃんもお父さんもとっても忙し

 そうに準備している。僕はいつもそれを見ているだけだよ。」

 

  そんな何気ない日常のストーリーを、彼の目線から語ってくれた。ストー

 リーからも見えるように、彼自身とてもゆっくりなペースの子だった。大人

 とのペースの違いに戸惑ったが、せかさずに彼と同じペースにあわせるよう

 にした。プレイバック終了後、わざわざ彼は、家族を連れてきて「これがさ

 っきのお話のお母さんだよ」と紹介してくれた。少なくとも彼にとって、テ

 ラー体験が嬉しい経験だったことがわかった。

  そこから学んだことは、子どものスピード、目線でコンダクティングをす

 ること。特に“待つこと”はとても大事。」(−−−羽地氏インタビューより)

 

 コンダクティングの手法で、ミラーリングといって、テラーの身振りやしゃべり口調を真似をしながら聴く手法がある。テラーと同じ目線に立ち、共に旅をするようなイメージで。

 子どもと接する上でも、このようなあり方や羽地氏の言う“待つこと”ができれば、気持ちを共有すること、そしてそこから信頼関係に繋がるのではないだろうか。

 

2.メッセージを伝え続ける

 これは本章の1からつながる話しである。“待つこと”と、そして“メッセージを伝え続けること”の効果を述べたい。

「山梨県の高校で、1年間定期的にプレイバックを実践していたときのこと。

 一度もワークショップに参加しようとせず、反抗的な態度で、常に外を眺め 

 ていた少年がいた。担任の先生が外に出そうとする中、「いたいようにこの場 

 にいてください」と常に声をかけていた。結局1年の間に彼が参加はするこ 

 とはなく、コンダクターとしての挫折感も感じた。しかし半年後、四谷でプ 

 レイバック・シアターのパフォーマンスを開催した際に、彼は友人と現れ、 

 自腹でパフォーマンスを観覧してくれた。彼がストーリーを語ることはなか

 ったが、公演終了後、声をかけると、「先生、うちの学校でのプレイバック・

 シアターを続けてください」と言って帰っていった。

 

 そこから学んだもの。

 その場での子どもの反応が全てではなく、彼らなりのあり方を持ちつつも、

 その心の内で感じているものがあるということを知った。すぐに結果を求め

 ず、自分自身のスタンスを変えずに、伝えたいことを伝え続けることが重要

 だと感じた。(この時は彼に「いたいようにいていい」ということをアプロー

 チし続けた。)」(−−−羽地氏インタビューより)

 

 子どもを指導するとき、ある意味見返りを求めないことも大切なのかもしれない。ただ、こちら側が絶えずメッセージを送り続けることは重要だと感じる。メッセージが送られているということだけで、自分の存在をそこにおいている子もいるかもしれない。それに応えてくれる日は、いつかはわからない。ただ気づいてくれる日があると信じることも大切だろう。 

 ぶれない芯を持って、メッセージを発信していくことが、厚い信頼に繋がっていくのではないだろうか。

 

3.Yes andの対応

 子どもとのプレイバックは、子どもならではの、自由且つ大胆な発想があり、

大人とのプレイバックとはまたひと味違う空間が生まれる。そこは自由でのびのびとした場でありながらも、一歩間違えれば無秩序な場になる可能性も少なくない。

 プレイバック・シアターには“リチュアル”というものがある。リチュアルとは、安全でしっかりとしたプレイバック・シアターを行うために必要な、プレイバック・シアターを構成している枠組み、それを表現する様式、約束ごと、手順などのさまざまな要素をさしている。

 これは子どもにもプレイバックを行う上で伝えるべき重要性があるが、その指導法から羽地氏より“Yes and”の心を学んだ。

 

・「承認」の事例

 プレイバック・シアターでは、アクターが演じた後にテラーに視線を送り、そのストーリーの“承認”をおこなう。こんな場面が見られた。

 トレーニングを開始してからの初期頃、表現を楽しむ子どもたちは、時に演じることでハイテンションになり、ストーリーを演じた直後にも関わらず、テラーを気にせずはしゃいでしまうことが多々あった。

 つい「はしゃがないで!騒がないで!」と一喝しそうになる私だったが、羽地氏はそんな子どもたちに対して、決してその行動を批判しない。

 「(今のアクティング)グッド!そしたらそのままテラーにしっかり今のストーリーを届けるように視線を送りましょう。そうするともっといいね!」と声をかける。はしゃいでいた子どもたちがジッとテラーに視線を送る。

「グッド!」=アクティングそのものを認める。

「そのままテラーにしっかり今のストーリーを届けるように視線を送りましょう。そうするともっといいね!」=提案・アドバイス。まさに“Yes and”の声かけだと言える。

 

 このやりとりはトレーニングの中で何度も繰り返されてきた。決して一度の声かけではなかなか習得しない。しかし、その声かけには、子ども達が心で感じ、動かす効果がある。トレーニングを開始してから3ヶ月目頃には言われずとも、子ども達が“承認する”ことを習得していたことは言うまでもない。

 

 以上の指導方法はプレイバック・シアターのトレーニングに限らず、子どもを指導する上でも大事なことを教えてくれた。

 あくまでも行動そのものを注意しやめさせることが目的ではない。「テラーのハートを大切にし、場を安全につくること」という目的を伝え続ける。そうすることで、その場限りではなく、その先も「何を大切にしていくか」ということがわかれば、行動が伴ってくる。

 社会ではルールという守るべきものがあるが、頭ごなしに言われ、イヤイヤながら行動を変えるよりも、自分が納得することで心が変わることが本当の指導ではないだろうか。

 

4.子どものエネルギーの向け方

 羽地氏からこんな話しを伺った。

「阪神淡路大震災が起きた夏、子どもサマーキャンプのレクレーションにてプ

 レイバックを提供したときのこと。恥ずかしがって、テラーは二人でしたい

 と子どもが出てきた。ストーリーは、バスケット部に所属しており、顧問の

 先生から暴力を受けた、というものだった。

  すると観客で聞いていた同じ部の子ども達が、同調して「もっとこうだっ

 た!」等、興奮し想い想いに複数の子ども達が感情をぶつけ始め、収集がつ

 かなくなってしまった。

  集団になったときの子どものエネルギー、感情の高まり方が、大人ではあ

 まり考えられないものだった。無制御のエネルギーに怖さとともに、自分自

 身の未熟さを感じた。

 

  振り返ると、子どものワークショップは盛り上がって楽しい場が良いと判 

 断し、そうなるようにと、盛り上がるエクササイズを多く取り入れていた。

  しかし、そのプラスエネルギーが、ちょっとしたきっかけでマイナスエネ

 ルギー(この場では暴力的にへ)と変換されるのだと、危険性を感じた。そ

 の背景には、震災後の生活環境等の影響から大きなストレスが基盤にあった

 ことも考えられた。そのとき、複数の子ども達の意見を聞いたため、結果的

 に危険な状態になってしまった。ここでもリチュアルを守ることは重要だと

 感じた。やはりリチュアルは場を守る、安全にするためのものだと改めて感

 じた。」(−−−羽地氏インタビューより)

 

 子ども達のワークショップは“楽しむこと”は目的であったとしても、“盛り上がる”ことが目的ではないということを、強く感じたワークショップだったと羽地氏は語る。この時のように、ひとつの感情が盛り上がり膨張しまい、集団心理が働き、本来もっている感情以上のものが一体となると、それはプレイバック・シアターが求める「共感・わかちあい」とは違う場になってしまう。「それぞれの想いをもてるよう個を大切にし、分かち合い・共感しあえる場作り」が、やはり目的とすることである。

 子ども達のエネルギーは大人が想像する以上に持つ力は大きい。特にショックが大きかった(この事例では震災)後のストレスが高いとき、どのように健全に発散させるのか、プレイバックの場にリチュアルが存在するように、自由でありながらも、枠をつくってあげることも大人の役目なのかもしれない。

 

第3章 子どもとプレイバック・シアターの可能性

 

1.誰にでもスポットライトを

 子ども達にプレイバック・シアターを行うことで、どのような可能性があるだろうか。羽地氏のインタビューの中からこんな話しが出た。

 

「従来の教育では、提供できないものを提供できると思う。学校教育では先生

 が答えを持っている。それを教えることは大切。しかし、そうではない、自

 分の意見や気持ちを安全に表現できることを、プレイバックでは可能になる。

  さまざまな学校でプレイバックをおこなって、気づいたことがある。プレ

 イバックを実践すると、普段目立たなかったり、あまり評価を得られない子

 どもが、生き生きと参加し、みんなが想像がつかないような表現をして、脚

 光を浴びることがしばしある。」(−−−羽地氏インタビューより)

 

 普段学校では、頭のいい子、スポーツが出来る子、ユーモアやカリスマ的な子が注目されることが多い。プレイバックにおいては、それらは関係なく互いがフラットな関係でいることができる。そして自分自身がいたい立場にいることができ、それぞれにスポットがあたる。

 羽地氏が述べたようにアクターはもちろん、テラー、そしてずっと観客で見ている子でもそうだ。ストーリーを見ているときに、どんなことで笑ったり、関心をもっているのか、表情を見るだけでその子のことが見えてくる。グループシェアをすると尚更で、大人数の前では出せなくても、少人数の中で自分の意見を言うことが出来たりする。そんな姿をコンダクターは見つけることができ、一人一人の新たな一面に出会える。一人一人に気づく、そんな場にプレイバック・シアターはしてくれる。

 

2.親子のコミュニティの場

 プレイバック・シアターはコミュニティを作る手段と言われているが、それは“親子”の為のコミュニティ作りも可能にしてくれる。

 私たちの演劇団体では、当初イベントに向けてのトレーニングを行い、子ども達だけで行うことが多かったが、保護者がその様子を伺いに、時々トレーニングに顔を出すことが多々あった。普通の芝居の稽古では、後ろの方で見学している保護者も、プレイバック・シアターにくると、コンダクターの誘いかけによって、参加者として同じ輪の中に入っている。大方、参加の仕方はテラーとしての参加である。子ども達のストーリーが続く中、コンダクターが問う。「どうでしょう、大人のみなさんもぜひ何か語ってみませんか。」子ども達だけが語り、演じている様子見て緩んだ表情から一変。少し大人にも緊張が走る。しばらくすると「じゃあ。」と手を挙げてくれた保護者が前へ出てくる。

 時代の様子や出来事に、時折目を丸くしたりしながら、生き生きと語る大人のストーリーを傾聴する子ども達。体験したことのない、まだ見ぬ世界や感情を子ども達は自分たちなりに演じる。

 親の幼少期の頃のストーリーを見た子ども達は「今の時代じゃありえない!」「当たり前だけど、お母さん達も子どもの時があったんだなー」等、今の自分の生活とは違うこと、また時代は違えど同じような気持ちを大人も感じたことがあるのだということに気付く。

 また両親の出会いや自分が生まれたときのストーリーを見た子どもは、始めは照れくさそうにしながらも、時に真剣に舞台を見つめ、最後はまた嬉しそうな表情を浮かべている。自分という存在が、親にとってどれだけ大切な存在なのか、口で言うまでもなく、舞台から伝わっている様だ。

 羽地氏はストーリーの後のグループシェアも欠かさずに行う。このような時大人と子どもを混ぜてグループを作る。それぞれの視点から見た感想を共有することで、また新たな気付きがそれぞれに生まれる。

 

 あまりにも小さすぎる子ども達との共感はまだ早いのかもしれないが、まだまだ愛情をたくさんもらいたい小学生から、思春期の中学生、少し大人に近づいている高校生まで、親子でプレイバック・シアターをすることで、互いの関係をより良くするものとなるだろう。

 

 

 

おわりに

 乳幼児の母子関係において、子どもにとって母親の存在を“安全領域”という。ここでの安全領域とは、無償に愛をもらうことが信じられ安心できる場、自分らしくいられる場所・存在を示している。子どもはその安全領域があるからこそ、自己肯定感を持ち、安心して外の世界に出て行くことが出来る。

 プレイバック・シアターの場はそんな場所に感じられる。

 否定されることなく、ありのままの自分を受け止めてもらう場所。自分一人で抱えていた想いが、共有され一人ではないと感じることができる。客観的に自分自身を見つめ、次に進むために背中を押してくれることもある。

 社会が全てそのような場所ではなく、子ども達も優しさや褒めるだけで育つわけではない。しかし、受け止められた実感、自分を大切に思えることができたら、苦しいことや辛いことも乗り越える糧となるのではないかと思う。

 そのような私自身の想いがプレイバック・シアターに出会って、更に強くなった。私は今後、発達障害をもつ青年や社会人、または障がいを持った子どものご家族の為の分かち合いの場作りとして、プレイバック・シアターを実践したいと考えている。新たな可能性をそこで見出したい。

 先に述べた“安全領域”は、子どもや私が実践したい人たちだけでなく、誰しも求めている場所だと感じる。そして今回この論文で述べたことは全て、子ども達だけでなく、大人も含めた万人にも通ずると言える。

 プレイバック・シアターの中に詰め込まれた、“テラーのハートを大切にすること”は、=(イコール)“人を大切にすること”を教えてくれる。そうした人を思いやる心を育む場作りをもとめて、私はプレイバック・シアターと歩んでいきたい。