ABEに想う_読みもの1「本当の自分って?」をやってみて

アート・ベースド・エドュケーション(ABE)の勉強会を定期的に行なっている。
ABEとは、アートを使い直感や個性を養うことやチームビルディングを目的にした教育研修のことだ。
1月のテーマは「本当の自分って?」。
今回私はそのテーマから「本来の自分の声を探る」という活動を行った。
自分の職場でよくやっている会話、気になったあの時の対話などをセリフで書いてもらい、そのやりとりを再現してみるのだ。状況説明は最小限に。セリフも二人で4行前後に。
人は人と交わる以上、関わる場により役割を要求される。
会社の役職の顔、家族の顔。地域の顔。
それらをうまく遂行しようとすればするほど、コントロールがよくきいた身体はそれにふさわしい振る舞いをするだろう。
声もその一つだ。
しかしその役割が自分の正直な気持ちとズレが生じていたら、そしてそのズレを修正できずにいたらどうなるだろうか。
「本当の自分」もどんどんズレて何が本当なのかわからなくなっていくことが起こるのではないだろうか。
この活動では、そんな仮説をもとに、まず普段の役割の声を少し離れて眺めてみることをしたかった。
最初の活動は、書いた会話文を全く事情を知らない人同士で読んでもらう。
自分とは違う声で出されたセリフを今、どんなふうに感じるのか体験してもらいたかった。
当然、自分とは違う言い方になる場合が多い。
その経験から、もう一度自分の書いた対話文を眺めてみて、「その時本当は何を言いたかった?したかった?」と自分に問いかけてみてもらった。
そして実際にその言葉を考えて言ってもらうのだ。
最初はうまく言えないかもしれない。
本当に言いたかったことであるからこそ、言えないことはある。
けれどもここは架空の場だ。
あなたの目の前にいる人はその時の人でもなければその当時のあなたではない。
今のあなただからこそ、言いたいことを声にしてみた時、それは自分自身の声を出した、と言える。
それは声だけではなく、仕草にも宿るかもしれない。
本当は立ち去りたかった。本当は抱きしめて、頭を撫でてあげたかった。本当は目の前のファイルを叩きつけたかった。
でも戸惑いで動けなかったり、怒りで心にもないことを言ってしまったり、逆に何も言えずに終わったのかもしれない。
そんな記憶が今も自分を支配しているなら、今、声を出そう、今、やれなかったことをやってみよう。
その瞬間に初めて本当の自分を自らで取り戻せるのではないだろうか。
それには人の力が必要だ。
アートの場の力で他者の手のぬくもりや感覚を借りてみよう、信じてみよう。
そして同じく他者にも自分の力を貸してみよう。
詳しく事情を知らない他者だからこそ言えることできることがあるはずだ。
どんな小さな声でもネガティブな言葉でも仕草だけでもいい。
あなたの身体を通して外の世界にようやく出た小さな振動は、少しずつ反響しあい、やがて大きなうねりとなって戻ってくることもあるから。
アートにはそんな力が備わっているから。そんな願いで行った。
それらはさりげない言葉だったり、微笑んでしまう言葉だったり胸が痛くなってしまう言葉だった。職場だけではなく、家庭での家族との会話を選んだ方もいた。
活動している人全員がアートとして表現しようとしていないことが逆にアートに満たされた場になっていた。
本当の声を取り戻す活動とは、その人の尊厳を取り戻すことになるのだな、と思う活動だった。
アートとは、その人がそうでしかいれないものが外に表せた活動のことをいう。
まだまだこの声を出す活動で試してみたいことはたくさんある。
これからも機会を作って何度かやってみたい一つになった。

表現教育家 岩橋 由莉